BIRKENSTOCK

ビルケンシュトックの歴史

全世界において抜きん出たドイツ ビルケンシュトックの製靴理論とその技術は200年以上に渡る家系伝承によって確立された。248年前、ヨハネ・アダム・ビルケンシュトックはドイツのLangenbergに生れました。彼は現在のビルケンシュトック社の社長であり、またこのブランドを世界市場に広めたカール・ビルケンシュトックの高祖父でもある。

  • 1774年 ヨハネ・アダム・ビルケンシュトックはLangenbergの教会において“臣民のシューマイスター”として登録される。
  • 1896年 靴職人コンラッド・ビルケンシュトックはフランクフルトに2軒の専門店を開き、また世界で初めてのフットベットを用いた弾力性のある中敷きをデザインし、ほかの靴職人はその中敷きを使いオーダーメイドの靴を製作した。
  • 1899年 その後15年間、コンラッドはドイツ各地とオーストリアで講習を行い、“アーチサポート”の概念を普及させ、靴職人にその製靴法の使用権を与えた。
  • 1913年 長男のカール(Carl)が製靴業に携わり始める。
  • 1914年 第一次世界大戦中、コンラッドはフランクフルトのフリードリッヒスハイム医院リハビリセンターで負傷兵のための整形用外科靴製作を行い、
    院長のLudhoff博士の高い評価を受ける。
  • 1925年 1925年コンラッド・ジュニアが製靴業に携わり始める。
    フリードベルク、ヘッセンの工場を建設。需要の激増に伴い、24時間操業となる。
    オーストリア、フランス、デンマーク、チェコ、イタリア、ルクセンブルク、ベルギー、ノルウェー、オランダ、スイスにおいて「ブルーフットベット」の販売が始まる。
  • 1932年 後に有名なビルケンシュトック講習会が始まる。2年目には5000人以上の職人が講習を受け、多くの医師やリハビリ師の支持と推薦を受ける。
  • 1935年 「フットベット」がヨーロッパ各国で特許を取得。
  • 1946年 第二次世界大戦後、ビルケンシュトックはライン川付近のBad Honnefに移る。
  • 1947年 総数112ページ、55枚の写真が掲載された『ビルケンシュトック 足の医療法』14000冊を発行。その発行部数と閲覧率は当時の医学書部門においてトップを誇る。
  • 1954年 カール・ビルケンシュトック(コンラッド・ビルケンシュトック・ジュニアの息子Karl)が製靴業に携わり始める。
  • 1964年 カールがフットベッドの上にスエードと靴底のアウトソールを付け、現在のビルケンシュトックを製作した。ビルケンシュトックの家の製靴業は変化とその規模の拡大を重ね、今日のビルケンシュトック社に至るまで成長を続けている。企業は成長し続けている。
  • 1966年 “水に濡れると色がつく”という足の測量紙を発明し、各国で特許を得る。またその通信販売も開始。
    ~はビルケンシュトックをアメリカに招き入れ、自然を尊び、健康を重視する人々の間で愛されるようになり、今もその人気は衰えない。
    またこのアメリカへの進出により、ビルケンシュトックは世界的ブランドメーカーとして認識されることになった。
  • 1969年 熱を加えることによって成型可能な「ビルコ・コルク」を開発。
  • 1972年 『足の健康』を三万冊出版。
  • 1973年 世界初の電気機械式の金型を開発。調整可能な型を使い、正確な比率の長さと広さのサイズの製品を生産。ビルケンシュトックの技術は全世界の製靴業をリードする。
  • 1974年 サンクトカタリーネンで皮の裁断工程を開始。
  • 1979年 St. Katharinen に100トンの裁断設備を設置する。
  • 1980年 電子機械式の金型をコンピューター制御式の機械に、同時に四つのサイズの型を生産することが可能になる。
  • 1982年 3年の研究開発を経て、5モデルのトングサンダルを発売。
  • 1983年 『足の入門書』を発行、初版は36000冊。
  • 1984年 カールの次男アレックスが入社。新たに6モデルのトングサンダルが特許を取得。
    “即日配達”を達成するため、より大きな倉庫へ移す。
    「フットベット」の特許が10年更新される。
    1400万冊のカタログを発行。
  • 1985年 初めての「クロッグ」を開発。新素材の「ビルコ・セル」を開発
    Bad HonnefでJunior meetを開催。
  • 1986年 200以上の代理店が第二回目のJunior meetに参加。
    運動靴専用ソールの販売を開始。
  • 1987年 St. Katharinen裁皮工場の裁断設備を増設。
    二種類の広さの50号サイズの提供を開始。
  • 1988年 カールの三男クリスチャンが入社。
    無溶剤型ゲルの使用を開始。
    ドイツの首相のコールがビルケンシュトック工場を訪問。
    台湾の代理店においてビルケンシュトックの販売が始まる。
  • 1989年 元々西ドイツの大陸タイアが所有していたALSA工場を買収、フットベッドとポリウレタン製品の供給を安定させる。社員は700人から1200人に。
    Asbachに四階建の工場を建設し、ソールの生産を中心とする。
  • 1990年 長男のステファンが入社。
    工場を広げると同時に現代化を進める。
    90%のエネルギーを節約し、通風システムに熱回収発電設備を装置。
    ビルケンシュトックは東西ドイツの統一後、初めて東ドイツに進入した企業の一つである。その後東ドイツに三つの工場を持ち、そのうちの二つは広さ100メートル、長さ200メートルの規模で450人の社員を抱える。
    アレックスはブランドのTATAMIを設立。
     
  • 1991年 流行色を中心に取り入れたブランドPapillioが登場。

    連邦議長のRita Sussmuthがビルケンシュトック工場を訪問。
  • 1992年 手作りのレザーシューズのブランドFootprintが登場。
     
  • 1993年 アレックスはブランドBirki’sを設立。

    Vettelschoss に広さ60メートル、長さ240メートルの物流センターを建設。
  • 1994年 クリスチャンはブランドBetulaを設立。

    Asbach に新倉庫の建設を開始。
    Birki’sシリーズではゲルを使わずに靴の表面と靴底を接合する最新技術を発表した。
  • 1996年 Asbachの倉庫の使用を開始する。
    Asbachの倉庫の使用を開始する。
  • 1997年 最新物流設備を整えたウエアハウスが完成。春には最初の製品を発送した。
  • 1998年 経理部と営業部がBad Honnef からVettelschossに移動。
    春に代理商のミーティングを開催。
    Betulaは「Burg Ockenfels」古城を買い、サービスセンターに改装。
    容量一万箱の全自動システムが完成し、1日8万足の運送が可能になる。
  • 1999年 Vettelschossで第二物流センターの建設を開始し、その土地の木の移植を行う。
    インターネット上でウェブサイトを開設。
    第二回国際代理商の会議には200人以上が参加。
    Footprintsの製品ラインは登山靴から婦人靴、紳士靴まで発展。
    Birkisは世界初の超軽量EVAクロッグを発明。
    世界各地の代理商がビルケンシュトックの225周年記念会に集う。
  • 2000年 アレックス設立のブランドTATAMIが10周年記念会を開催。
    Footprintsの紳士靴が正式に登場。
    ゲルを使用しないBirki’sのサンダルが登場。
  • 2001年 VettelschoBの物流部で最新自動注文システムの使用を開始し、毎日6,000足の靴を24時間に出荷・配送することが可能になる。
  • 2002年 世界的に人気商品「ボストン」の25周年を記念する。
  • 2003年 1990年にベストオブシューズに選ばれた「アリゾナ」が30周年を記念。
  • 2004年 ビルケンシュトックはイギリスで最も代表的な品質賞の「The Draper Award」において「ベストオブシューズ」を受賞。ビルケンシュトックの時代を越えたデザインは年齢、場所、スタイルを問わず多くの人々に素晴らしい履き心地を提供するということが認められる。
  • 2005年 VettelschoB本部付近にある自動化物流倉庫の正式営業を開始。